【漫画家】鶴吉繪理の哲学・その世界(第三回)
こんにちは!ぐるぐるのーぶるです。
今回は、鶴吉繪理さんの色彩へのこだわりが芽生える中学生時代の作品をご紹介します。その前にまずは、10月23日(日)COMITIA118のサークルカットをお見せします!
アルビレオ舎「藍に染まる病の物語」
「藍に染まる病の物語」ということで、物語はどうやら「藍」と「病」に関わるお話のようです。わたしはすでにネームを見せていただいておりますが、ものづくりに関わる人ならば間違いなく共感できると思います。ものを作るという行為には、自分の何かを差し出すような「覚悟」が必要ですよね。絵を描く人、物語を紡ぐ人、音を生み出す人、空間を作り出す人。クリエイターのかたがたにはもちろん、クリエイターがどのような覚悟で作品を生み出しているのか興味がある人にもおすすめです。
のだめカンタービレに影響を受けた中学時代
(聞き手:ぐ、鶴吉繪理さん:鶴)
ぐ「こちらが中学時代の作品ですね。あれ?これは急に画力があがっているような……。中学生になってから何かあったんですか?」
鶴「中学時代は、2年から美術部に入ったんですよ」
ぐ「なるほど。そこで、リンゴを描いたり………」
鶴「いえ、絵画的なことはなにも。みんなで漫画を描いていたんです。それで画力があがったのかな」
ぐ「これは、あのなんだか……」
鶴「あっ、その頃、二ノ宮知子先生の『のだめカンタービレ』が大好きで。『のだめカンタービレ』風というかそのままの漫画を描いていましたね。」
ぐ「この頃、美術部では油絵などは描いていなかったんですか?」
鶴「3年生のときに彫刻家の有名な先生がいらして、油絵も描きましたが、油絵の具の色が」
ぐ「色が?」
鶴「当時から絵画は好きで。でも、やはり中学生の持つ油絵の具って高いものじゃないですよね。好きなあの絵画の色と自分の持っている絵の具の色が違うって思ってました」
鶴吉繪理さんの作品で印象的なのが、線画だけではなくその色彩ですよね。その色彩へのこだわりは中学生時代に芽生えていたんですね。次回は、いよいよ鶴吉繪理さんの作品の根幹ともなる「運命の作品」との出会い、そして現在の作品にもつながる考え方の部分にせまっていきたいと思います。
鶴吉繪理
長崎県出身。多摩美術大学卒業後、講談社「ザ・デザート」で3ヶ月に1作品程度の頻度で読み切りを発表。現在は、10月23日(日)のCOMITIA118で発表予定の新作原稿を執筆中。